喜連川宿は奥州街道十宿の内 ①白沢宿 ②氏家宿に次ぐ第三の宿で、本陣・脇本陣・旅籠茶屋が軒を連ね、喜連川足利氏 〔各式十万石実高壱万石〕 の城下町も兼ね殷賑(いんしん)を極めた。 本陣とは、参勤交代の大名や公用の幕府の役人が定宿とした高級旅籠で問屋を兼ねる所が多かった。当宿には、奥羽・越後・下野の37大名が3月から6月にかけて投宿している。
 当宿の本陣は、江戸中期には郡司十左衛門、斎藤仁右衛門等が経営したが、後期には当街の駅所在地で上野太郎平が経営に当った。
 明治になり本陣跡には警察署、郵便局、銀行が開設された。当 「街の駅」 舎は大正15年に建築された喜連川警察署の建物で、大正期の警察庁舎で現存するものは全国に数か所しかないという貴重な建造物である。

大正15年(1926)建築の喜連川警察署の建物

飲用専用の自噴井戸

街の駅 「本陣」 について