高塩背山(明治15年~昭和31年)は、本名・正庸、この地に生まれた。明治35年前橋中学校を病気で中退後、父祖伝来の喜連川神社神職を継承、かたわら小学校教員をしていたが、24歳も頃から作歌を志し、一時尾上柴舟に師事して歌と書の指導を受けた。その当時から若山牧水ほか、多くの青年歌人と知り、文通。明治43年、牧水の
「創作」 にい参加、以後創作社の中軸として名を知られる。
牧水と背山との親交は深く、牧水はその生涯において3回、背山宅を訪ねて宿泊しているが、その第一回目は大正4年7月19日で、宿った翌朝に「時をおき・・・」の歌を詠んだ。この作は牧水の酒の歌では、代表的な名歌のひとつである。
背山はこれという旅もせず、常に郷土の自然を対象に、暖かい人間性を秘めた清明な歌を作り続けたが、昭和31年5月31日に74歳で病没した。歌集に
「狭間」 「移りゆく自然」 の二著がある。
このすぐれた近代歌人二人の足跡をここに誌し、永遠に記念するためにこの双歌碑を建て、郷土の誇りとするものである。
(喜連川町長 塩野昌美)
時をおき 老樹の雫 おつるごと しづけき酒は 朝にこそあれ
かぜとよむ 桜若葉の間より 残れる花の 散るはさびしき
解説碑
喜連川神社社務所
若山牧水歌碑
高塩背山歌碑
拝殿に掛かる喜連川神社の扁額
神輿殿
神輿
喜連川神社本殿
阿形の狛犬
吽形の狛犬
喜連川神社拝殿
参道
阿形の狛犬
参道石段
吽形の狛犬
喜連川神社参道石段前にある伯耆禰神社
伯耆禰神社本殿
拝殿に掛かる伯耆禰神社の扁額