子育子安地蔵尊
足利氏宮殿保管庫
足利尊氏木造と宮殿
青銅製地蔵菩薩半跏像
六地蔵幢
慈悲観世音菩薩
地蔵菩薩坐像
十一面観音菩薩が安置された龍光寺本堂
この寺の創立者は、足利尊氏であって東勝寺と号し下野国の安国寺であった。喜連川左馬頭頼氏の時、慶長6年(1601)父頼純逝去されたので、当山に葬り戒名の龍光院殿全山機公大禅定門の頭をとって龍光院と改称した。以来足利家の菩提所と定めて寺領50石を賜り、喜連川藩公代々祈願追善の香草の院であった。
墓所周囲は築堤を廻らし、総面積400㎡、石塔54基のほか石燈籠があり、14代に亘る藩主御台所嫡子等の墳墓にて、城下町喜連川の代表的文化財として旧態を保持している。
六地蔵尊
山門に掛かる慈雲山の扁額
龍光寺山門
足利家歴代墓碑
足利家歴代墓所
足利家歴代墓所案内
龍光寺境内の北端に旧喜連川藩公歴代の御廟所がある。その内部に桧皮葺き総欅作りの立派な宮殿であり鎌倉時代の建築様式といわれている。
尊氏の木像は宮殿内に安置されている寛文6年(1666)4代藩主左兵衛督昭氏が鎌倉長寿寺中の坐像(足利尊氏)を同寸法に模写製作したもので、京都等持院鎌倉長寿寺とこの龍光院にある三体の一つである。当山では近年まで秘宝として一般には開扉しなかった。
鐘楼
本堂に掛かる龍光寺の扁額