さくら市を代表する歌人、高塩背山は本名を高塩正庸。代々喜連川神社の神職を勤める家に生まれ、教員を勤めた時期もあったが、生涯の大方を祖父伝来の神職をまっとうした。

 24歳の頃から作歌を志し、一時、尾上紫舟に師事して、歌と書の指導を受けた。才能を開花させてからは、郷土の自然を題材に、暖かい人間性を秘めた清明な歌を終生作り続けた。

 中央歌壇への投稿を通じ、若山牧水と交友が生まれ、明治43年には牧水の 「創作」 に参加、主軸歌人の一人として活躍をした。長く続く親交の中で、牧水は3度、喜連川の背山をたずね、酒と短歌を交えたひとときを過ごしている。その時牧水が詠んだ歌は背山の歌と並び喜連川神社に歌碑として建っている。

 代表歌集 「狭間」 「移りゆく自然」 にあるように、郷土の風景を慈しみ74歳で没した歌人は、永眠の地を愛した喜連川の街並みが見える高台にしたかったのではないだろうか。

山上より町を 

 我が街を埋めつくして流れゐる

    朝の濃霧を丘の上ゆ見つ

   うち渡す峡間の町の夕けむり

    若葉の上にたなびきながるる

街道脇に建つ高塩背山の解説

墓所への石段

高塩背山の墓(右)

高塩家の墓

墓所から街道方向を見下ろす