石井百僊の墓碑(天保10年
 石井家は氏家宿脇本陣を勤めた民政家で、代々孫兵衛を世襲した。百僊は俳人として氏家の俳諧活動の先駆となり桃斎(とうさい)とも号した。天保9年(1838)の堂原地蔵堂額(氏家指定文化財)には 「今日の雪 終りはつもの 梅の花」 の句がある。また本墓碑には辞世句 「けふの日は いづくのはてに 啼千鳥」 がある。

石井青什の墓碑(安政4年)
 石井青什は百僊の子で、青州居士、樵巣(しょうそう)とも号した。弧山堂卓郎ら江戸の俳諧宗匠、宇都宮や奥州の俳人と広く交流し、氏家宿本陣の平石凱山らと俳諧結社「卯の花連」を結成、主導した。江戸で出版された句集に数多く投句、弘化4年(1847)の今宮神社句額(氏家町指定文化財)には 「暁の はよう移れや 雛の声」 がある。また本墓碑には辞世句 「氷たる 池にひびくや 鐘の声」 がある。

山門に掛かる霊水山の扁額

光明寺山門

手水舎

天和3年(1683)の五十里洪水死者供養塔

子育地蔵尊

十三重塔

弘法大師像

鐘楼

大師堂

無縁塔・五輪塔

不動堂内陣

不動堂

不動堂の上の青銅不動明王坐像

石井百僊・石井青什の墓

石井百僊・石井青什の解説

六地蔵尊

光明寺本堂

本堂に掛かる光明寺の扁額