地蔵菩薩
子育地蔵尊
安産子育つた地蔵尊碑
如意輪観音
文化11年(1814)の常夜燈
栄町女人講中の十九夜塔
蔦地蔵とか定家地蔵とも呼ばれる本彫刻は高さ1.3mの安山岩に地蔵菩薩坐像と蓮弁台座まで丸彫りにした中世期の石仏である。
右手に錫杖、左手に摩尼宝珠を持つ延命地蔵の形で、法衣・袈裟も的確に刻まれ、台座にめぐらされた蓮弁は力強い。細面・切れ眼は冥想的で、品格を保ちながらも耳や鼻は大きめに強調されている。また、この石仏が正面だけでなく、周囲を巡りながら拝するために、丸彫りは丹念に仕上げられ、重量感あふれる中世石仏となっている。
鎌倉期に宇都宮氏を中心に形成された宇都宮歌壇は京都・鎌倉に次ぐ一大地方歌壇で、歌聖藤原定家と親交を結び、宇都宮頼綱の女は長子為家に嫁いでいる。頼綱は法然上人に帰依し蓮生法師と称した。宇都宮氏の支族氏家公頼も浄土信仰をもち、定家の七周忌に定家の面影を写した石仏を造立したと伝えられ、以来定家地蔵といわれるようになったという。
(昭和51年 氏家町教育委員会)
石造地蔵菩薩坐像由緒
地蔵堂
つた地蔵尊 (地蔵菩薩坐像)