この桜は、古賀志町の城山西小学校にある孝行息子の伝説を持つ宇都宮市指定天然記念物 「古賀志の孝子桜」 の子孫にあたる。
戸田忠恕は、安政3年(1856)10歳で家督を継ぎ、宇都宮藩主となったが、幕末維新にあたって勤王の志深く、山陵修復や戊辰戦争に力を尽くし、明治元年(1868)5月、わずか22歳で没した。この碑は、明治30年(1898)特旨を以って従三位が贈られた後、翌31年に旧藩士や有志が、忠恕の功績を不朽に伝えるため建てたもので、その波乱に富んだ生涯が、漢文体で碑全面に刻まれている。
明治天皇は、明治25年(1892)10月21日から7日間、陸軍特別大演習総裁のため栃木県に行幸された。明治天皇は、演習終了後の26日午後、ここ宇都宮城跡において文武官及び県民500余名と共に酒宴を行ったという。
贈従三位戸田忠恕之碑
孝子桜の子孫の桜
天皇観臨賜甫処碑
清明台から北方の街道方向を望む
富士見櫓から西方向を望む
宇都宮城公園 (本丸跡)
清明台
おほり橋
富士見櫓