石製の塔婆は、鎌倉・室町時代に供養塔として数多く作られていた。関東地方では秩父産の緑泥片岩で板状に作られたものが多く、板碑と呼ばれている。
 さくら市氏家地区では、緑泥片岩の代わりに鬼怒川産の河原石を加工して作られた石塔婆が多く存在している。これらを板碑と区別して 「河原石塔婆」 と呼んでいる。氏家地区では11ヶ所17基が確認されており、ここ古町には6基が存在している。正面には種字(仏・菩薩などを示す梵字、造立年月日などが刻まれ、頭部に二本の線刻があるものもある。この河原石塔婆群には、元弘4年(1301)から嘉歴元年(1326)までの年代が刻まれていることを確認することができ、さくら市氏家の中世史料として注目されている。
   (さくら市教育委員会)

河原石塔婆解説

河原石塔婆6基

薬師堂

御堂に掛かる薬師堂の扁額

薬師如来が祀られた薬師堂内陣

鍵の手にあった馬頭観音の実物で、喜連川生まれの書家・小山霞外の書である。

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天保9年(1838)の馬頭観音

道標

如意輪観音

大正6年(1917)の十九夜塔