常夜燈

手水石

 お伊勢の森神明宮は、遠く村の発生とともにまつられたのであろう。旧奥州街道を少し離れた所に四角四面に石を積んだ石塚があり、その中に伊勢神宮の内宮・外宮その他の末社を勧請したものがまつられていた。あたり一面が森をなしていたことから、俗に 「お伊勢の森」 といった。ここに詣でることにより、同じご利益があり、いくつかの霊験談が伝説化されて残っている。
 すぐ前の道が昔からあった古道で、東は古宿(現古町)に、東は堂原地蔵尊~阿久津へと通じている。徳川幕府が開かれるとともに街道が整備され、氏家村にも宿場や伝馬の制が敷かれるようになり、近世の新しい宿・氏家宿ができた。この街道を奥州道中と名付けたが、一般には、奥州街道と呼んでおり、氏家以北37大名の参勤や公用のため、本陣や問屋が設けられ、商人や旅人が足繁く往来した。

お伊勢の森

お伊勢の森由緒

天照皇大神碑