堂原の将軍地蔵(そうめん地蔵)境内にあるイチョウ科の落葉高木で、雌雄異株。原産は中国。樹皮が厚く、耐火力にすぐれ、薬用にもなったので、日本では古い由緒をもつ神社仏閣に医療・火防の霊樹として植えられた。このイチョウは今宮神社のイチョウ(町指定天然記念物)と推定樹齢が同じく約600年とされている。
今宮イチョウが雄、このイチョウは雌で、併せて 「夫婦イチョウ」 と呼ばれている。樹幹や枝から気根がたれ下がり、乳房の様に見え、樹液がしたたるので、古来より、乳不足の母親はこのイチョウに願いをかけると効きめがあったといわわれている。晩秋には沢山の銀杏が落ち、賞味されている。当地方の名木であり、まれにみる巨木である。
天保13年(1842)の常夜燈
地蔵菩薩立像
常夜燈
元禄8年(1695)の観音菩薩・延享元年(1744)の如意輪観音など
堂原の公孫樹
堂原の公孫樹解説
文化8年(1811)の常夜燈
源義家が奥州に進軍したとき鬼怒川釜ヶ渕の悪蛇のため進めません。宗円法師の祈りで将軍地蔵が出現して悪蛇を退散させたので、勝山城を守護する寺院として堂原に将軍山地蔵院満願寺を建てました。
室町時代のころ、ここから日光山に修業にいったお坊さんが意地悪山伏に素麺を無理やり食べさせられ気絶しました。別のお坊さんが来て日光中の素麺を食べつくしたので山伏は降参しました。お坊さんは将軍地蔵の姿となりお坊さんを連れて勝山に帰りました。これから 「そうめん地蔵」 伝説が生まれ、日光責め・強飯式が起こったと言われています。戦国時代に那須勢が攻めてきて焼き討ちをしたので満願寺は焼けてしましました。
江戸時代には再建されて堂原地蔵堂となり奥州街道の道中安全にご利益があるので有名となり、遠く秋田・会津の商人たちから奉納された石燈籠などが残されています。
地蔵菩薩坐像
将軍地蔵堂
将軍地蔵由緒
閻魔堂
天明3年(1783)の手水石
閻魔大王像