嘉永6年(1853)の常夜燈

弘化2年(1845)の常夜燈

文政9年(1826)の常夜燈

金比羅神社本殿

金比羅神社拝殿

道標 (← 与作稲荷・浮島地蔵 →)

船玉神社拝殿

豪華な船玉神社

鳥居に掛かる船魂神社の扁額

阿久津河岸・船玉神社解説

木製の神明鳥居

右奥州道

此方河岸道

左江戸道

 徳川家康が江戸城に入部すると、領地である関八州諸国から建築用材や食料の輸送はもっぱら川船によった。幕府が開かれ、やがて参勤の制が布かれると、東奥の糧穀や物産などは、阿久津まで陸送され、ここから川船で江戸に送られるようになり、さらに商用の荷駄も旅人もこれを利用するようになった。川船の発着場を 「河岸」 という。
 阿久津河岸は奥州街道の鬼怒川渡河点にあたり、最上流に位置するという地の利を得て、慶長以来、明治の中期まで水陸交通の要地として300年間の繁栄を続けた。
 鬼怒川上流独特の川船を 「小鵜飼船」 といい、また、船頭たちが、水上安全の守護神として河岸場にまつったのが、船のみたま・船玉(魂)大明神である。境内は船の形を模して作られたといわれ、舳(へさき)の位置に神殿がたてられており、一般の神社とは趣を異にしている。