明治15年(1882)の常夜燈

延享4年(1747)の四百万編供養等

石鳥居建築記念碑

 遠い昔には、勝山の城地の一隅に祀られてあったと言われる。いつの頃か洪水により稲荷神社の小祠は流され、三本杉(現河内町白沢)の根元に留まり、そこにしばらく祀られてあった。
 嘉永3年(1850)に上阿久津村と下ヶ橋村との間に地域論争が起きたが、これを契機として故あって東円寺裏に御神体を祀ったという。
 村人や奥州街道を旅する者、鬼怒川に船を操る船人たちがこの稲荷を詣でるようになると、様々な霊験が現れ、奇瑞が起こったと言われ、爆発的な稲荷信仰が起きた。寺の裏の片隅にあった小社には、信者の奉加によって本殿や拝殿と社地が造営され、たくさんの鳥居が奉納された。門前には稲荷町ができて、参詣者の飲食遊興の場となった。
 しかし、河岸の衰退とともに、霊験談も消え、境内の賑わいも遠い昔の物語となってしまった。

奉納鳥居

与作稲荷神社

石鳥居

塩釜地蔵尊

与作稲荷神社由緒

地蔵堂

明治12年(1879)の狛狐

与作稲荷神社拝殿

拝殿に掛かる与作稲荷神社の扁額

明治12年(1879)の狛狐