一里塚は、旅人が目的地へ到着するまでの目標と馬や駕籠の賃銭の支払いの目安に、江戸幕府によって慶長9年(16044)に設置されました。江戸・日本橋を起点にして、奥州街道はじめ五街道の両側に一里(約4㎞)毎に設けられました。塚は一般に9m四方で、この上に榎木が植えられ、一里塚であることの目印と旅人の日よけの役目も果たしました。
古文書には、白澤の一里塚は日本橋から30番目で、かつては鬼怒川の河原にあったため、度々の洪水で壊されてしまったと記されています。

 奥州街道白澤宿の会では、江戸時代に多くの人たちが利用した一里塚の歴史を後世に伝えるため、会員と地元の白沢河原、白沢甲部、白沢南の各自治会の皆さんの協力を得て、ここに 「白澤一里塚趾」 の碑を建立しました。
     
平成21年5月23日 奥州街道白澤宿の会

衆議院議員船田中書の開田記念碑

白沢宿七福神の福禄寿

白沢の一里塚解説

街道脇に建つ福禄寿・一里塚跡の立札

白沢の一里塚跡碑