青目立不動(町指定有形文化財)について、江戸時代後期の地誌「新編武蔵風土記稿」に、「不動堂 年貢地12坪 小名水銀にあり 9尺4方 不動は立像3尺 修験栢尾山玉蔵院持」とあります。
 この不動堂は、初め当境内地内奥水銀にありましたが、江戸中期頃、玉蔵院の代に現在地へ移建されたと伝えられています。
 修験(山伏)玉蔵院は、江戸中期から後期にかけての人ですが、初期から中期にかけては、検地帳や宗旨人別帳に大乗院という名前が見られます。
 元禄元年(1688)の念仏鉦(伏鉦・ふせがね)には、大十院とありますが、これが大乗院と同じ人と思われます。
 念仏鉦に刻銘のある木食真円は、氷川の小留浦、慈眼寺に、開山閑山但唱、二世閑唱真順、三世唱謁真円、四世秀円と記録のある三世真円その人です。

庭先から望む奥多摩湖(小河内ダム)

不動堂

不動堂に掛かる護寶殿の扁額

弘法大師・青目立不動尊・薬師如来

不動堂と不動明王解説