この歌は、川合玉堂先生が29歳の時に、小河内に写生に来られたおりに、この地で詠まれたものです。
 「人里離れた山の上で息をひそめるようにして生活しているあの集落は、何と言うところだろう。私もいつか、きっと、あのような場所で余生を送りたいものだ。」
この歌は、先生が奥多摩に住まれるようになった原点であるだといわれております。
 玉堂先生は昭和19年に奥多摩町白丸に戦時疎開され、その折、青梅市御岳に移りましたが、この歌のとおり生涯奥多摩を離れることなく、昭和32年84歳で他界するまで身近な山村と素朴な村人の暮しを描き続けました。

川合玉堂解説

玉堂歌碑

街道脇に建つ玉堂歌碑

山の上の はなれ小むらの 名を聞かむ やがてわが世を ここにヘぬべく