仙元(浅間)塚は江戸時代中期の宝永4年(1707)に起きた富士山の噴火(宝永噴火)時に降り注いだ火山灰を村の各所から寄せ集め築造したと言われています。
 天保13年(1842)、日本全土を襲った大飢饉により、ここ長後村の人々も困窮を極め、当時厄除対策として流行した富士信仰が促され、富士講が結成されました。以来33回の富士(浅間神社)登拝が行なわれ、慶応2年(1868)にはこの仙元塚が築造され 「大塚」 と称されました。塚の高さは3丈(約9m)広さは25坪(約83㎡)でした。塚の頂上には 「浅間大菩薩」 の碑が置かれ、山岳信仰に関わる石碑、石仏類が配されました。塚の名称は明治元年(1868)に 「富士塚」 明治末期頃には 「仙元塚」 と呼ばれるようになりました。
 大正4年(1915)に築造50年祭が執り行われましたが、その後、塚は放置され半壊状態になっていました。そこで、昭和39年(1964)地元有志により築造100年祭が盛大に行なわれました。しかし、昭和50年(1975)、県道藤沢座間厚木線の拡幅工事の際、塚は縮小されたため、塚上にあった石碑、石仏類の殆どは長後市民センター構内に移設されています。
(長後地区郷土づくり推進会議歴史散策の会)

仙元大菩薩碑

仙元塚五十年紀念碑

仙元塚百年記念碑

仙元塚説明