五輪塔

芭蕉句碑

不動八大童子

大師堂

地蔵菩薩坐像

弘法大師像

稲荷神社

鐘楼

手水舎

 昔から 「大山不動さん」 と呼ばれた大山寺は、山号を雨降山といい、天平勝宝7年(755)奈良東大寺の別当良弁僧正が、父母の孝養のために建てたといわれる。赤子の時、大鷲にさらわれた良弁を捜して、日本国中を尋ね廻った父母が、盲目の乞食になり果てていたのを、不動明王の導きで、親子の再会が出来たと、大山寺縁起絵巻に書かれている。
 良弁にい帰依深かった聖武天皇は、良弁親子の再会に強く感動され、大山寺を勅願寺とされた。寺はその後いくたびか災厄にあったが、鎌倉・足利・徳川幕府の保護をうけ、その都度再建された。
 本尊不動明王・矜迦羅童子・制吁迦童子の三体は、珍しい鉄像で、鎌倉時代(1270年頃)大山寺中興の祖、願行上人作と伝えられ、国の重要文化財である。他に平安前期(782-897)の木造不動像をはじめ多くの仏像がある。
 この寺はかつて、日本古来の予言者から発展した山岳宗教の、「修験道」 の道場で、大山不動信仰を世に広めたのは、この修験者たちであった。今でもその象徴である天狗の面が土産店で売られている。
 庶民が期待する大山不動尊信仰の特別の冥加は、農・漁・商・工・職人・技芸人等多くの人々の間で、その子供達が親の職業を立派に引き継ぎ栄えるよう、加護を受けることであった。

大山寺縁起

六地蔵尊

石段参道

地蔵菩薩・如意輪観音

寛政7年(1795)の青銅宝篋印塔

伯耆坊大天狗大神

木遣塚

雲折々 人を休むる 月見かな

祈祷中の本堂内部

本堂に掛かる大山寺の扁額

大山寺本堂