江戸城の築城で有名な太田道灌が、主君上杉定正に 「道灌謀反心あり」 と疑われ、定正の糟屋館に招かれ、刺客によって暗殺されました。
そのとき上杉方の攻撃を一手に引き受けて討死した道灌の家臣7名の墓で 「七人塚」 と伝えられています。
この塚は、上粕屋神社の境内の杉林の中に7つ並んでいましたが、明治の末に開墾するとき一つ残された供頭のものと言われ、今でも七人塚と呼ばれています。
太田道灌〇〇と刻まれた石碑
延享元年(1744)の地蔵菩薩立像
石碑 (判読不可)
頭部が欠けた地蔵菩薩
七人塚
七人塚碑と解説板