(正面)
銘云 拾得坦頭力 不曽他借肌
若〇三橋上 合掌須通之
この道は、江戸か赤坂見附(矢倉沢往還)からと、東海道柏尾村からの大山詣りの人達が歩いた大山道で土地の人は 「青山道・戸田道」 と呼んでいました。
また 「三所石橋造立供養塔」 は、この場所とこの近辺に架けられた三ヶ所の石橋を供養する為に、享和2年(1802)に洞昌院住職と村人達によって建てられました。道に沿って流れるのは大山を源流とする大山川(鈴川)から引水した用水路で
「千石用水」 または 「千石堀」 と呼ばれています。いつ、誰が、何の目的で造ったのかは諸説あり定かではありません。
昔は小魚が泳ぎホタルが飛び交っていたと謂います。さぞかし大山詣りの人達の心を和ませたことでしょう。
維時享和2(1802)壬戌稔仲秋吉祥旦
志願 洞昌十五代龍堂叟
三所石橋造立供養塔
(右面)
(左面)
三所石橋造立供養塔解説
江戸時代の想定画
昭和50~60年頃の写真