菅原神社本殿

句碑 (不詳)

句碑 (不詳)

(伝説)
十二柱神社へ合祀されたあとたびたび天神様の御霊が旗川家へおみえになり、潜り戸ががらがらと開けられ、出てみても誰も見えないという珍事が続き、夢にまで天神様が見えたということで近隣の話題となった 天神様の御霊は、やはり天神山へ帰りたいのであろうということで 再び木像を戻し、あらためて此処へお祀りしたところこの珍事がぱったり止ったと言われている
 其の後は旗川の天神様として大事に管理と守護をつづけて現在に至っている。平成3年同所に県道が計画され一部が用地となったことを契機に新たに社殿を作りその中に祠(南無天満大自在天祠とある)を納め、現在のかたちとしたものである。

この地は昔から天神山と言われ小さな丘に祠が祀られていたと言う。この祠の勧請年月日は不詳であるが、十二柱神社に次いで建てられたと思われ(延宝6年の書物調べ)徳川時代以前のものである
一 名稱は菅原神社であり大隅天神社とも言う
一 祭神は菅原宇斯公(菅原道實公のこと)
一 御神体は道實公の木像が安置されている
一 所有地は風致林41坪があり宮内庁名儀であったが後に旗川家の所有となっている
 明治34年旗川鶴蔵等によって石の鳥居が建立されていたが昭和62年3月の大雪で崩れてしまった。 明治43年稲荷神社第六天社と共に十二柱神社へ一度合祀された。

菅原神社由来