せきどめ地蔵尊前には、大山道と矢倉沢往還碑が通っていて、ここで左右に分かれました。
 大山道(戸田道・青山道)は、橋を渡ると「ひなた道」と分かれ、峰岸方面へ向かい千石堰沿いに谷久保から石倉橋を経て大山へ向かいました。
 矢倉沢往還は耕雲寺前を通り、片町、串橋、善波を抜け、松田から足柄方面、矢倉沢へと向かいます。
 明治の中期頃まで道は、渋田川の手前で左右に分かれて川を越えたので橋は二つありました。
 また、ここにある庚申塔は、道標にもなっていて 「大山道」 「ひなた」 と彫られています。

庚申塔・地蔵菩薩などの石造物

大山道と矢倉沢往還解説

大山道道標

 渋田川に架せられた 「せきど橋」 のたもとにある咳止地蔵尊は、古来から痰咳平癒の守護仏として崇められ 「せきどめ地蔵」 の名で広く霊験を知られた。現尊像は享保8年(1723)の再建になるもので、再々の補修がなされている。地蔵前の古道は相模川の戸田の渡しから大山に通じる 「戸田道」 で糟屋宿にも程近く、大山詣りの道者たちの信仰も得ていた。現今東京、川崎・立川方面に信者のあるのもそのためで、堂のそばには大山道の道標も遺されている。背後の富士山は八王子に通じるので昔は繭の市も立った。道路や交通機関の変動で、戸田道は往古の面影もないが、地元人士の賛同を得て保存会を結成、堂宇の修理をなし霊蹟の再興を図るものである。
   (弥杉咳止地蔵尊保存会)

地蔵堂

咳止地蔵尊由来

咳止地蔵尊 (地蔵菩薩坐像)