新編相模国風土記稿にも記載されている大きな御神木の松が、昭和40年まで聳えていました。昭和38年編纂の伊勢原町勢誌には、目通り幹周が6.8m、高さ約30mと記されています。翌39年に町の天然記念物に指定されましたが、この頃から松食虫がはびこり枯れ初め、県の伐採勧告を受けるに至りました。そのため、翌昭和40年8月に宮司のお祓いの後切り倒されました。伐採時の樹齢は400年余と伝わっています。今では、当時を偲ばせる切り株のみとなっています。
  (現地案内板)

 この灯籠は元太田鉄工所の敷地内にあったものです。火袋や笠から判断して、灯篭であろうとは判断できます。
 石材は凝灰岩(日向石など)で、石質は2乃至3種類が組み合わされているようです。
 現在設置してある形は、破損状況や残片の安定性を考慮して置いてあるものです。
 従って、当時の様な形のものであったか、また、造立時期等は不明ですが、昨今作成されたものではありません。
  (現地案内板)

 この道標は、元大田鉄工㈱の敷地に建てられていたものです。年代の刻銘が無いため造立年代は不明ですが、材質が日向石でその形態などから、明治大正時代の間に建立されたものと推測されています。
 東 戸田渡船場道
 西 小野七澤道
 南 伊勢原秦野道
 北 萩野道
大田鉄工㈱が創業を始める前は、付近一帯は畑地で、字大久保の何れかの道路際に有ったものと思われます。
 昨年(平成28年)同社が撤退に際し、この道標は市文化財課に移管されましたが、地元に返還を受け、子安神社の了解を得て此所に設置しました。なお、文字にある 「戸田の渡し」 は大山道の一部で、明治末まで盛んに利用されていました。

子安松

灯籠

道標

津島天王・金毘羅合社の石祠

大神宮石祠

稲荷社石祠

明治19年(1886)の手水石が置かれた手水舎

鐘楼

桜とイチョウが根続きとなっている 「結びの木」

鳥居

 当神社の創建は詳らかではありませんが、平安時代末期以前と考えられています。
 「吾妻鏡」 や 「平家物語」 により伝えられる、寿永3年(1184)正月20日に粟津の戦いで木曽義仲を討った相模国大住郡糟屋庄石田郷(現伊勢原市石田)の武将石田次郎為久が当神社を守護神としておりました。また 「新編相模国風土記稿」 によれば、社領3石の御朱印は徳川家康がこの辺りで狩りをした折、鷹が戻ってきませんでした。そのため、その時の名主半右衛門が神社に祈願したところ、程なく鷹が戻ってきました。これにより、天正19年(1591)に徳川家康公により賜ったと伝えらえます。
 明治6年に石田村の鎮守として 「村社」 に列せられ、社名は 「子安明神社」 から 「子安神社」 と改称されました。

子安神社由緒

拝殿に掛かる鎮守子安神社の扁額

阿形の狛犬

子安神社拝殿

吽形の狛犬