愛甲石田駅周辺の小字「峰」「源太夫」「細谷」「外堀」などには多くの遺跡が存在しています。駅前ロータリーの建設や道路整備、共同住宅の建設に先立つ発掘調査で、駅周辺の台地上に、弥生時代から中世までの遺跡が密集していることが明らかになりました。
弥生時代の遺跡では、ムラの周りを溝で囲んだ環濠集落が、複数確認されています。古墳時代では、円墳とされていた石田車塚古墳が、実は全長80mを超える前方後円墳であることが分かりました。
弥生時代から平安時代にかかる長い期間、駅前ロータリー付近には、竪穴住居が次々とつくられ、大きな集落が広がっていたことが分かりました。また、東側の源太夫では平安時代の貴族や豪族が使った緑色の陶器が大量に出土しました。このことは、この地に中央との関わりを持つ有力者が居住し、古代にあったとされる「石田郷」と呼ばれる村が実際に存在したことを示しています。
また、中世の遺跡からは鎌倉時代初期のかわらけや、陶質の瓦、白磁、青磁といった中国からの輸入陶器が大量に出土しており、鎌倉の御家人石田次郎為久の存在を裏付ける資料として、注目されています。
このように、駅周辺の発掘調査により、この台地上が古くから住環境に優れ、江戸時代には矢倉沢往還など、大山街道が通る交通の要所として、貴重な地であったことが明らかになっています。
(伊勢原市教育委員会)
石田遺跡群解説
愛甲石田駅前ロータリー
駅前ロータリーの発掘調査写真