平安時代より疫病除けの神として牛頭天王が祀られ那須与一も眼病祈願をし、厚木のお天王様として親しまれた。
水月庵来之の作と言われる句碑
水神宮碑
水神宮
あつぎお天王様の跡碑
散あきて 木の葉しづまる 旭哉
稲荷神社
拝殿に掛かる厚木神社の扁額
厚木神社本殿
拝殿内
厚木神社拝殿
阿形の狛犬
吽形の狛犬
円融天皇(996-84)の時代、藤原伊尹公より勧請されたと伝えられたと言われております。鎌倉時代には那須与一が眼病平癒祈願をした伝説や、江戸烏山藩の陣屋が設けられた事等から、厚木草創期より郷民の安寧と、政治経済の中心として尊敬されていたことが伺えます。厚木神社の尊称は明治維新以後の名称であり、それ以前は牛頭天王と称し今でも一般には「お天王様」と言われ、例祭には参詣の人々で大いに賑わいます。
明治6年に船喜多神社と熊野神社を合祀し、明治40年には神奈川県より郷社に列格されました。
厚木神社由緒
鳥居
天明3年(1783)の手水石