六地蔵尊
地蔵堂
地蔵菩薩坐像
庚申塔
右 大山道
天明8年?
左 江戸道
国分尼寺の若き尼と土地の若者(漁師)が恋仲になった。ある日、若者が困った顔をしているので、若き尼が尋ねると、若者は国分寺の建物が相模川の水面に映って魚が逃げてしまい、漁をしても魚がとれないと話した。その夜、若き尼は国分寺に火をつけ、国分寺は一晩のうちに焼けてなくなってしまった。若き尼は捕らえられ、丘の上に生き埋めにされ、竹のこぎりの刑に処せられた。その後、不思議なことに、その場所から一滴二滴と湧水が流れ出た。村人は若き尼が罪を詫びて涙を流していると言って 「尼の泣き水」 と呼び、如意輪観音の供養塔を建てた。
地蔵菩薩が刻まれた宝篋印塔
尼の泣き水跡に建っていた如意輪観音
若き尼の 恋物語 尼の泣水
天和3年(1683)の一面六臂の青面金剛の庚申塔
国分寺建立の頃、薬師堂もこの丘陵に上に設けられ、のち火災等の災害により、この地に移転されたのは室町時代であったろうと言われています。
鎌倉時代の末頃、国分に居館を構えていました海老名氏の一族国分季頼が、当時の名工物部国光に鋳造させ正応5年(1292)国分寺国分尼寺が薬師堂に移されていた時寄進されたのが、この鐘であり、大正12年8月重要文化財として国の指定を受けました。
なお、鑄工物部国光は鎌倉円覚寺の鐘(国宝)をも鋳造した人であり、この鐘楼は昭和51年3月に完成したものであります。
梵鐘解説
国分寺本堂
本堂に掛かる国分寺の扁額
鐘楼
国の重要文化財に指定された正応5年(1292)の梵鐘