この標柱の南側を北東から南西へ通る道は 「大山街道」 です。この道は国道246号線の旧道にあたり、江戸時代には青山(現在の港区青山)から大山に詣でる道として賑わいました。江戸幕府がまとめた
「新編相模国風土記稿」 では、「矢倉沢往還」 と記され、東海道の脇往還として、相模川の鮎をはじめとした沿道各地の名産品や物資を江戸の町に運ぶ
「商いの道」 でもありました。
現在は、東の大和市境から西の 「大塚本町」 交差点までの間は直線で約2㎞あり、座間市・大和市・海老名市の境となる道です。
この標柱の東側を南北に通る道は 「辰街道」 です。北は相模原市の橋本から淵野辺、大沼、中和田新開(現在の小田急相模原駅周辺)、座間市、海老名市(柏ヶ谷)、綾瀬市、大和市を経て藤沢にいたることから
「八里橋なし九里坂なし」 といわれ、広大な相模野台地を縦断する道でした。
この広い台地の多くは村々の共有地で、屋根の材料となる茅や牛馬の飼料、畑に使う肥料となる草を刈り取る「秣場(まぐさば)でした。「辰街道」 という名は、市の北端から南東(辰巳)の方角へ向かうことに由来するといわれています。
大山街道 (左面)
大山街道と辰街道 (正面)
辰街道 (右面)