左 矢倉沢?
渡辺崋山とまんじゅうや解説
右 ??
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江戸時代後期の洋学者で、画家として知られる渡辺崋山は、第10代田原藩主三宅康明の弟友信の命により、高座郡早川村(綾瀬市)に住む友信の生母お銀の消息を尋ねるため、天保2年(1831)9月20日、弟子の高木梧庵といっしょに江戸の青山を立ちました。その日は都筑郡荏田村(横浜市緑区)に泊まりましたが、翌21日には矢倉沢往還下鶴間宿に着き、俗に
「まんじゅうや」 (土屋家) といわれる旅籠屋に一泊しました。
「まんじゅうや」 は初代土屋伊兵衛が開いた旅籠で、饅頭も商っていたといいます。土屋家には。天保11年の 「大山く組」 という看板が残っています。これは江戸の町火消
「く組」 が、大山参詣の定宿としていたことを物語っています。
(大和市教育委員会)