「武蔵風土記」 に北条氏綱の家臣、中山修理亮貞信が遁世して、恵心僧都作とされる阿弥陀仏の立像を安置し、天正年間に当寺を開いたとされています。元は厚木市飯山に在し、3代か4代の頃に当地に移り住んだと語り伝えられ、開山了雲、2代空存、3代存永が墓石および過去帳に連記されていることからも推測されます。以来、世襲絶えることなく400年以上にわたり、法灯が伝えられております。
現在の本堂は、16代徳行の時に再建されたもので、過去には何度か火災に遭い、そのたびに門信徒の皆様のおかげにより、9代順永、11代善応、14代栄雲の時に再建の記録があります。
なお、本堂余間に安置されている 「聖徳太子立像」 は、室町時代後期の作とされ、町田市指定文化財になっております。
山門
圓成寺本堂
圓成寺縁起碑
聖徳太子立像が安置された本堂余間
鐘楼
文久元年(1861)の山王山と刻まれた手水石