戦国時代末期の天正年間(1573-92)、真言宗関東山ヶ寺の一つとして創建された醫王山薬師院東光寺の境内に山号の 「醫」、寺号の 「薬」 を取り 「醫薬神社」 として祀られたのが始まりという。
 江戸時代末期、水戸藩主徳川斉昭の庶子として生まれた東光寺住持諦恵が明治初年に新政府が神仏分離令を発布したとき水戸神道を奉じて僧侶から神職となり、近隣の上谷本・下谷本・上市ヶ尾・成合の四ケ村の檀家は神社神道に改宗し、東光寺を廃祀して醫薬神社を独立創祀した。
 諦恵はこのとき谷本の村名を姓として名乗り、こんこんと湧き出る境内の井戸に因み名を泉と称した。
 当初の社殿は、一尺五寸四方の小祠で、昭和の初期に改造営したが、戦後に至って朽ち果てたため新社殿を再建し、昭和42年3月21日遷座奉祝祭を斎行した。
 その後土地区画整理事業により町並みが一変したため、社殿の向きを南向きに変えた。
 御祭神大国主神は、親子で手を携えて国を回ったといわれる故事により縁結びの神様として広く信仰されている。
 また、大国主神が稲羽の素兎を助けた神話に因み、病気平癒・厄除・安産成就・無病息災・延命長寿のご利益のある神社として崇敬されている。

阿形の狛犬

医薬神社拝殿

吽形の狛犬

手水舎

医薬神社由緒