明治30年(1897)みぞれまじりの春に、国木田独歩が溝口を訪れたとき、当時旅館であった溝口の亀屋に一泊しました。
このことは独歩の作品 「忘れ得ぬ人々」 のモデルとなり、この作品によって明治文壇に不動の地位を築きました。独歩と亀屋の関係を後世に記念するため、当時の亀屋主人、鈴木久吉が建碑を計画しましたが、志なかばで世を去りました。
彼の俳友達が意志を継ぎ、独歩27回忌を記念し、昭和9年(1934)夏、亀屋の前に碑を建てました。
題字は島崎藤村が書いたものです。
(高津観光協会・高津区役所)
この歌碑は川崎市高津ロータリークラブが、平成2年にクラブ創立5周年を記念して、この地で幼少時代を過ごした岡本かの子の業績を讃えるため、川崎市に寄贈されたものです。かの子は豪商・大貫家の長女として東京都赤坂区の同家別邸に生まれました。大貫家は橘花郡高津村二子(現在の高津区)に数百年続いており、江戸時代には苗字帯刀を許されるほど有力な家柄でした。かの子も5歳のときに赤坂よりこの地へと移り、幼少時代を過ごしました。
この地を愛したかの子は、作歌活動を通じ、作品にも郷土に寄せる思いを綴っております。この思いは今も郷土の人々の共感するところであります。この歌碑は彼女の思いをこの機会に、改めて高津区民の人々に広く伝え、地域文化の向上に寄与するためにと建立されたものであります。
かの子の作歌活動は旺盛でありました。大正元年には最初の歌集、第1歌集 「かろきねたみ」 が刊行され、大正7年に第2歌集 「愛のなやみ」 が刊行されました。この歌碑の歌詞は大正14年に刊行された第3歌集
「浴身」 における歌題 「桜」 138首の中から選ばれて、彼女の筆跡を写し刻んで歌碑にしたものであります。撰者は夫・岡本一平との長男であり、日本を代表する前衛画家でもある岡本太郎であります。歌詞と共にかの子の筆跡も味わっていただければと思います。
(川崎市環境局)
文教大学附属溝の口幼稚園・小学校跡地碑
岡本かの子歌碑
岡本かの子歌碑解説
うつらうつら わが夢むらく 遠方(おちかた)の 水晶山に 散るさくら花
岡本太郎撰
国木田独歩碑解説
国木田独歩碑