世田谷百景実相院界隈
北門参道
七重塔
高橋是清翁之鬚墓
稲荷神社
多宝塔
鐘楼
寺伝によれば、当寺の開山は天永琳達大和尚、開基は吉良左兵衛佐氏朝とも子の頼久ともいう。本尊は薬師如来。
天正18年(1590)小田原北条氏の滅亡に際し、世田谷城主の吉良氏朝は城を去り、下総国生実(現千葉市)に逃れた。
徳川家康が江戸入府後、氏朝は再び世田谷に帰ったが、世田谷城は廃城となり戻ることを許されず、この地に閑居し慶長8年(1603)示寂した。
「新編武蔵国風土記稿」には、「今境内に氏朝夫婦の碑あり、氏朝の碑面には実相院殿四位下学翁玄参大居士」、慶長8年9月6日と刻し、夫人の碑は鶴松院殿快窓寿慶大姉」とあり。」と、記されているが、現在、この墓碑は所在不明である。氏朝の位牌のみ本堂に安置せらる。慶安元年(1648)、家光より朱印地10石2斗2升を賜っている。
(世田谷区教育委員会)
宝篋印塔
聖観世音菩薩立像の石塔
五重塔
五輪塔
手水石
実相院由緒
地蔵菩薩坐像
山門に掛かる実相禅院の扁額
南口からの参道
南口山門
延享9年(1681)の石燈籠
宝永6年(1709)の石燈籠
六地蔵尊
実相院本堂
本堂に掛かる鶴松山の扁額