道標年代 寛延2年(1749)、文化9年(1812)再建

 大山道は、矢倉沢往還の俗称である。この道標は、旧大山道(代官屋敷前経由)と、文化・文政期ごろに開通したといわれる新大山道(桜新町経由)との分かれ道にあった石橋楼(三軒茶屋の地名の起こりの茶屋の一つ)の角に建てられていた。
 大山は、古い民俗信仰である石尊信仰と山岳仏教の信仰とが結合し、相模の修験道場として重きをなし、将軍をはじめ多くの人々に尊崇された。とくに文化文政期以降は江戸町人などの大山詣りが盛んになり、その案内のため大山道沿道に多くの道標が建てられた。
 この道標は、玉川電車の開通や、東京オリンピックの道路の拡幅などにより点々と移されたが、昭和58年5月に三軒茶屋町会結成50周年記念事業の一つとして、元の位置近くに復された。

備考
一、この道標は、本来は渋谷方面に向いて建てられていた。
一、相州通・二子通は、ほぼ現在の玉川通りである。
一、富士・世田谷道・登戸道は、ほぼ現在の世田谷通りである。
   (世田谷区教育委員会)

道標解説

道標の上に乗る不動明王像

左相州通 大山道

右 富士 世田谷 登戸 道

此方 二子通

(正面)

(右面)

(左面)