弘法大師 右 神泉湯道 (正面)
かつて、この附近は神泉谷と呼ばれ、こんこんと湧き出る泉があり、その湧水を弘法大師の弟子が浴室を建て湯治場として村人に勧めたという。江戸時代には、大山詣で・富士山詣での通り道であるため、多くの人々が立ち寄ったという。
青山北町一丁目 施主石屋勝次郎 (左面)
明治十九年八月廿五日 (右面)