尾曳稲荷神社は第105代後奈良天皇の御代、天文元年(1532)尾曳城(後の館林城)城主赤井照光が城の鬼門にあたる稲荷郭の地に守護神として創祀された。当時大袋城(城沼南岸)の城主であった赤井山城守照光は、舞木城(千代田町)へ年賀の途次童子らに捕らえられた子狐を救った。
 その夜更け老翁が現れ、子狐が助けられた礼を述べ、館林が要害堅固の地と説き、移転を奨めて姿を消した。その年の七夕の夜、老狐が現れ尾を曳いて城郭の縄張りを先導して夜が明けた。
 別れに際し 「築城完成の暁は長く城の守護神に仕えよう。私は稲荷の神使新左衛門である」 と言い終るや姿を消した。
 照光はこれによって築城し、その名も尾曳城と号し、城中に稲荷郭を設け、社殿を造営して当神社を奉祀した。現存する初引き稲荷神社(本町)は尾の曳き初め、夜明稲荷神社(朝日町)は曳き終わりの場とされている。

猿田彦大神2基

境内社の三峯社

尾曳稲荷神社由緒

拝殿に掛かる尾曳稲荷神社の扁額

尾曳稲荷神社本殿

境内社の弁財天

稲荷社

昭和15年(1940)の狛狐

弘化3年(1847)の狛狐

弘化3年(1847)の狛狐

手水舎

寛文5年(1665)の手水石

尾曳稲荷神社拝殿

吽形の狛狐

阿形の狛狐

尾曳稲荷神社石鳥居

文政13年(1830)の常夜燈

天和元年(1681)の常夜燈

尾曳稲荷神社鳥居

文化3年(1806)の常夜燈

嘉永6年(1853)の常夜燈

稲荷社

稲荷社

          田山花袋歌碑

田とすかれ 畑と打れて よしきりも すまずなりたる 沼ぞかなしき