延暦年間伝教大師最澄を開祖とする天台宗寺院法雲寺である。14世紀足利将軍時代、唐僧の秋紅禅師を開山に無参禅師を中興とし禅宗となる。しかし、その後の250年間は杳として模糊。17世紀徳川初期よりは、様々な古文書、寺史、日單、過去帳などから確たるものであり、歴代住職もここから数え現住で16世となる。
 また、この頃である東京国立博物館にある幕府で出した五街道絵図は国の一級品資料であるが、その中の法雲寺解説元和3年(1617)、徳川家康公の遺柩を日光山移葬の途中、当寺に仮安置した事が記録されている。
 江戸から明治にかけては、12もあった周りの寺院も順次その存立を失い、廃寺となり、また統合され東光寺として管理されるも、ただ一ヶ寺法雲寺のみは本派二等地の独立寺院として厳存し、独自の教檀を張っていた。降って、明治・大正~昭和初期、14世物外和尚の禅僧としての活動はめざましく、次代を担う人作りをモットーに東明学院を設立。また東光寺の正住職に付くや薬師境内仏殿諸堂の大改修を成し遂げ、田中正造のよき相談役となり、多くの社会活動など萬人の認むるところであり、当寺の中興開山とする所以である。法雲滝(ホーナン)が法雲寺と改められたのもこの時期である。
 次の15世紫山和尚も大学者であり、すこぶる大きな人物は天下周知で、これらの徳が終結和合し、平成10年ついに開花し形となりしたものが、現本堂瑞光殿であり書院であり、禅庭園のなごみと荘厳である。有り難きかな。合掌。

法雲寺小史

本堂に掛かる法雲禅寺の扁額

法雲寺山門

法雲寺本堂

自然石の文字庚申塔

地蔵菩薩立像

延宝8年(1680)の一面六臂の青面金剛の庚申塔

庚申の文字が一杯刻まれた天帝釋青面金剛供養塔

法雲寺中興記念碑

明治7年(1874)の馬頭観世音

寛政6年(1794)の千庚申供養塔

宝永5年(1708)の如意輪観音

五重塔

宝篋印塔

観音堂に掛かる如意輪の扁額

枯山水に架かる亀像の橋

観音堂

六地蔵尊

薬師堂に掛かる瑠璃光の扁額

薬師堂