菖蒲園は城沼近くまで広がっている

旧秋元家別邸前の菖蒲園

 天文元年(1532)赤井照光により館林築城がなされ、江戸時代には榊原氏・松平氏・徳川氏・太田氏・井上氏から秋元氏へと10家23代に及ぶ330余年間親藩、譜代の城下町として栄えたところです。
 弘化2年(1845)山形より秋元氏が来封し、礼朝(ひろとも)の時、明治維新を迎えました。興朝(おきとも)・春朝(はるとも)・順朝(なおとも)へと続きますが、春朝は元来自然をこよなく愛した粋人で、村人からも親しまれた中々の好人物でした。この像は春朝が池に向かって投網し魚を獲るところで、建立は大正8年(1919)です。
毛利教武作

離れの脇にある秋元神社

出窓が目立つ離れの洋館

旧秋元家別邸

秋元春朝投網の像説明

秋元春朝投網の像

秋元神社脇にある昭和5年(1930)の富春園碑