久伊豆神社拝殿
拝殿に掛かる久伊豆神社の扁額
神楽殿
久伊豆神社は、成田家14代顕泰が忍城を築いた際に、鬼門の守護神として長久寺とともに文明年間(1469-87)に創建したと伝えられています。
その境内にある目通り1.3m、15m四方の枝張りを有するこの藤は、日本特産の野田藤と呼ばれる品種で、花房が1.5mもある珍しいものです。
この藤の原木は、市内長野林地区の堀口家にあった「紫藤庵(しとうあん)の藤」で、江戸時代には忍城主より藤の肥料として搾粕(しぼりかす)二俵の下賜があり、藤の保護に充てられていたとの話が伝わっています。
明治維新後にその一部が根分けされて長野橋場地区の赤飯伊奈利社頭に移植され、明治29年に赤飯伊奈利大社が久伊豆神社に合祀された際にこの地に移植されて、現在に至っています。
なお、原木は現在市内若小玉の内田家に移植されて、市指定文化財「紫藤庵(しとうあん)の藤」となっています。
(行田市教育委員会)
明治17年申年氏子総代関田啓助、中村朝次郎、福田庭助等、村民と相諮り社頭掲揚の幟の揮毫を明治の元勲勝海舟閣下に懇嘱し、原書は今社宝として保存する。
昭和50年11月20日
勝海舟閣下書記念碑
久伊豆神社の祭神は、素戔嗚尊の子大己貴命である。
創立は文明年中(1469-87)で、成田下総守顕泰が忍城築城に際し、城の鬼門の守護神として当神社を祀り、隣接する長久寺を別当とした。これに合わせ、城の裏鬼門の守護神として城の南西大宮口に、やはり久伊豆神社を置いている。
境内には15m四方の枝張りを有する藤があり、市指定天然記念物となっている。
この藤は、境内にある赤飯稲荷を合祀する際に、市内若小玉(わかこだま)にある 「紫藤庵の野田藤」 を根分けして植えたものである。野田藤は、日本原産の藤であるが、花房が1.5mもあるのは珍しい。
なお、本社には市指定書籍の勝海舟書 「大幟」 原本も保存されている。
摂社赤飯伊奈利大社社標
阿形の狛犬
久伊豆神社一の鳥居
吽形の狛犬
鳥居に掛かる久伊豆神社の扁額
明治14年(1881)の常夜燈
文政5年(1822)の常夜燈
藤棚記念碑
久伊豆神社社標
久伊豆神社由緒
藤(九尺藤)説明
赤飯稲荷神社手水舎
狛犬
狛犬
摂社赤飯稲荷神社拝殿
行田市指定文化財の藤(九尺藤)
摂社の赤飯(しゃくじき)稲荷神社鳥居
鳥居に掛かる赤飯稲荷神社の扁額
久伊豆神社手水舎
伊勢太々講中の狛犬
久伊豆神社二の鳥居
伊勢太々講中の狛犬