この鐘は、寛文13年(1673)、舘林城主徳川綱吉が城内をはじめ城下町へ時を知らせるために下野天命(現栃木県佐野市)の鑄物師長谷川次郎左衛門藤原勝重に鋳造させた城鐘です。
鐘の大きさは、口径75㎝、胴の高さ106.5㎝、龍頭を含め138.5㎝、肉厚7.7㎝、重さは540㎏を測り、駒の爪や撞木座、上部のツバ、下帯の文様などに江戸時代の巨鐘の特徴を示しています。
乳の配列は五乳五列。池の間には鐘名の痕が残っています。この銘文は、綱吉を継いで舘林城主となった綱吉の子徳松丸が、天和3年(1683)に死去し、舘林城が一時廃城となった際、城鐘は不要となったことから、当時、時報係を務めていた縁故で応声寺に下げ渡され、その時の条件としてつぶされ判読不可能となったと言われていますが、その後の研究、調査で次のようであったと解読されています。
鐘之為器也、文武兼用、其声之伝、選通亮彰、上下間達、庄八音之始面万物由是以動、故内面懸於殿堂以置左右、外面携於軍旅以成進退、然則城楼不可無鐘、可以発畏昏之省、可以戒衛護之務牟、上州舘林城者、為関左之重鎮、方今命鳥師、改鋳旧鐘、既脱・・・・(略)
館林城鐘説明
南無阿弥陀仏名号塔
応声寺本堂
本堂に掛かる舘林山の扁額
筆塚
鐘楼
地蔵菩薩立像(子育地蔵尊)
無縁塔
地蔵堂?