名称 宗教法人 青梅神社(あおうめじんじゃ)
別 称 青梅天満宮(あおうめてんまんぐう)
祭神 菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
素戔嗚命(すさのおのみこと)
猿田彦神(さるたひこのかみ)
御由緒
当社縁起によると、祭神菅原道真公が左大臣藤原時平一派の陰謀によって、大宰府に左遷されたとき楊枝の先に梅の実をさし、それぞれ一個ずつを東西南北に投げた。最初に投げたのが出雲国にとび花久理梅となり、つぎは南方讃岐国へとび花さく梅となり、西は筑前大宰府の飛梅、東は上野舘林へとび青梅天神となったという。日本四社の内東方の一社である。
鎮座年記は赤井山城守城主(1471-1562頃)とされ 「舘林代々城主聞書」 には 「谷越町(現在地)天神の宮は追手(大手)の外の南方に有之候処文禄四乙未年今の所へ移す」
とあり、西暦1595年(文禄4年)以前は三角公園の南西付近にあったものを榊原康政城主時代に、城拡張工事のため移転したものと伝えられる。
古くより学問の神様として崇拝され合格祈願のお参りをする人々の姿が多く見られる。
拝殿(1631年築1862年改修)仕様
青梅神社拝殿の格天井は、幕末の大改修で浮世絵師・北尾重光により完成を見た。太い木を井桁状に組み、上に板を張った天井で格縁(ごうぶち)の間には、色彩豊かな動植物77枚が書き出されている。
絵馬殿(1631年築1794年再建)
鳥居に掛かる天満宮の扁額
青梅神社石鳥居
額殿(絵馬殿)
寛永8年(1631)築・寛政6年(1794)再建
保存樹木のクロマツ
文政4年(1821)の石燈籠
天保14年(1844)の菅霊山と刻まれた手水石
青梅神社社務所
文字庚申塔4基
青梅神社由緒
青梅神社本殿
寛永18年(1641)再建
拝殿に掛かる天満宮の扁額(左)
額殿に掛かる天満宮の扁額
阿形の狛犬
吽形の狛犬
青梅神社拝殿
寛永8年(1631)築・文久2年(1862)改修