清流の井戸(青龍神社)由緒

 この井戸は、江戸時代に福寿院(現在は廃寺)の境内にあり、伝説によると、延宝年間(1673-81)に突然清水が噴き上がり、中から女官姿の「青龍権現」が姿を現したことから、「青龍の井戸」 と呼ばれるようになったといわれています。
 当時は、徳川綱吉が舘林の城主となった頃で、城下では、御三家の一つである水戸家に並ぶほどのこれまでに例を見ない隆盛を誇っていたことから、ますます良い兆しであるとして、人々の大変な噂となりました。
 この話を聞いた綱吉の生母 「桂昌院」 は井戸のかたわらに 「青龍権現社」 を再建したといわれ、綱吉も5代将軍となると10石の朱印地を寄進したと伝えられており、神社の入口には。現在でも 「葵の御紋」 が見られます。
 また、この井戸と善導寺(現在は楠町に移転)境内の 「竜の井」 と 「城沼」 とが一つにつながっていたという伝説もあり、こうしたことから、7月10日の縁日には、延命長寿の霊験あるこの井戸の水を参拝者に与える習わしがありました。
 平成10年に、井戸の調査が行われましたが、井戸の深さは7m程、井戸の断面は、深さ約3mのところで大きく膨らみ、集水のための工夫が施されていることが分かりました。
 現在でも、冷たくてきれいな水がこんこんと湧き出しています。

青龍神社本殿覆屋

青龍神社入口

覆屋に掛かる葵の御紋が付いた青龍神社の扁額

青龍神社本殿

青龍の井戸

手水石