埼玉県指定天然記念物 「勘兵衛マツ」 説明
江戸時代、上新郷には八王子宿から日光へ至る日光脇往還と呼ばれる街道が通り、本陣や脇本陣が設けられました。また、街道沿いでは「新市」が立ち、5と10の付く日には市が開かれていました。
上新郷の日光脇往還沿いに松が植えられたのは、寛永5年(1628)と伝えられています。この年の4月、江戸幕府3代将軍の徳川家光が日光東照宮を参拝しており、景観を整えるためか、当時の上新郷村を納めていた忍城主が家臣の勘兵衛に松の植樹を命じたと言われています。そのためこの松並木は「勘兵衛マツ」と呼ばれるようになりました。
江戸時代には100本以上を数えたという勘兵衛マツは、明治8年(1875)の調査では69本になりました。その後、台風による倒木などにより数を減らし、昭和56年(1981)の調査では9本が確認されましたが、平成30年(2018)3月現在、江戸時代から現存する勘兵衛マツは黒松1本のみです。
(埼玉県教育委員会・羽生市教育委員会)
勘兵衛松碑
勘兵衛マツ