遍照院は、寛仁年間(1020)の草創といわれ、もとは山城国醍醐三宝院末で、延宝3年御室御所仁和寺の直末にかわり、秀啓代に檀林格となり、8ヶ寺の本寺として、寺領25石の御朱印寺であった。境内の薬師堂をはじめ本堂、大塔、庫裡、客殿、鐘楼、山門、仁王門の七堂伽藍や寺内の東福坊、宝蔵坊、東之坊、中之坊、西之坊、観音寺の六坊は、たびたびの兵火と火災によって焼失し、のち寛政5年(1793)総ケヤキ造りの薬師堂を再建され、江戸時代の技法を凝らした文化財的な建築様式である。また、像高86センチ桧木の寄木造り二重円光飛天光背、平安後期中葉(1100)の制作と推定され、温容端麗な藤原仏の代表作である。
寺号・・・医王山常福寺遍照院梅本坊(開山慶儀)
宗派・・・真言宗智山派、総本山京都智積院
本尊・・・薬師如来(大日如来)

阿形の仁王像

参道口

吽形の仁王像

遍照院山門

遍照院・薬師如来由緒

六地蔵尊

日本百観音巡礼・四国八十八ヶ所遍路結願記念碑

十三重塔

客殿庫裡造立記念塔

薬師如来

聖観世音菩薩立像

阿弥陀如来坐像

弁財天堂

子育水子地蔵尊

薬師如来坐像

弘法大師像

植栽で見えない遍照院本堂

本堂に掛かる駒形瑠璃殿の扁額

遍照院本堂