この道しるべは、江戸時代の八王子と日光、川越と越生を結ぶ重要な街道が交わった場所にあります。形は角形の石柱で、大きさは高さ73㎝、幅23.5㎝、厚さ15㎝、刻まれた干支から文政4年(1821)のものであることがわかります。
 道しるべの各面には、「北 日光 坂戸」、「東 江戸 川越」、「南 八王子 高萩」、「西 慈光 越生」 と刻まれています。南北は、この道が八王子から高萩(日高市)、坂戸を経て日光へ通じる日光街道であったことを表しています。日光街道は、江戸時代、日光火の番の任に就くため、八王子に住んでいた千人同心(八王子千人同心)が、八王子と日光の往復のために使った街道で、「日光脇往還」 「千人同心街道」 等とも呼ばれています。また、東西は川越街道(越生道とも呼ばれた)であったことを示し、東は川越を経て江戸へ通じ、西は、越生を経て古刹慈光寺(ときがわ町)へ通じることを表しています。
 この道しるべは、貴重な文化遺産として約25m程北の場所で大切に保存されてきましたが、平成18年3月移設されました。
 (鶴ヶ島教育委員会)

才道木日光街道道しるべ説明

西 慈光 をこせ 道

東 江戸 川ごへ 道

南 八王子 たかはぎ 道

北 日光 さかと 道