中国古代の道教に、干支の庚申の夜に人が眠ると体の中の 「三尸(さんし)虫」 がその人日頃の罪を上帝に訴えて、命を短くするとの説があり、日本の庚申信仰はここから来ていると言われ、後に庚申の日には徹夜して過ごすという庚申講も行われた。江戸時代までは、庚申の日には炒豆を食べ、女は針仕事はしなかった。庚申塔は260年前に建立され、見まい、聞くまい、話すまいがあるという話題の場所でもあり、三面六臂の相をした馬頭観音菩薩と、中央の手が合掌、右手に剣、左手に宝珠、下の右手に矢、左手に弓を持った青面金剛とが佇んでいる。
 青面金剛菩薩の彫られている庚申塔の台座には、右に目隠しをした猿、中央に耳隠しをした猿、左に口を隠した猿がいる。この三猿の姿を見ざる、聞かざる、話さざるとか、見まい、聞くまい、話すまいと言って来たのである。尊像は邪鬼の上に立っており、両脇には向き合った鶏、右メス、左オスが小さく彫られている。庚申塔は路傍に祀られ、道祖神の性格も持っており、病気・商売繁盛・家内安全の願いを込め、才道木の人達だけでの庚申日待も戦時に休止になるまで行われていた。これと並んで240年前に建立された馬頭観音は脚折村の馬の病気回復と安全を祈願したものであろう。

宝暦7年(1757)の青面金剛の庚申塔

庚申塔と馬頭観音縁起

安永6年(1777)の三面六臂の馬頭観音

文政13年(1830)の如意輪観音