薬師堂由緒

 この薬師さまは、いまから200年前の安永年間にはじめられた 中武蔵七十二番薬師巡拝の拾番札所で、お堂の扁額に、「たのむぞよ ういの山坂 とく越して みちびきたまえよ るりのみそのへ」 の御詠歌も掲げられている。
 この薬師堂のご本尊は、木彫りの立像で高さが45㎝、頭部を胴にはめこむ仕組みになっているが、その首の裏に 「武州入西郡勝呂郷之内塚越村、小河新右衛門尉、法名善了旦那也、天文廿四年(1555)10月5日」 と墨書銘があり、光背にも 「享保17年(1732)王子歳11月27日常福寺快応代再興之者也」 と記されている。
 新編武蔵風土記稿によれば、この薬師は、坂戸判官則明の守り本尊で康平年間(900年前)この地に安置されたと伝えられ、常福寺もまた白髭山と号して文明12年(1480)建立とあるがその所在は今日定かではない。
 (坂戸市教育委員会)

薬師堂に掛かる御詠歌の扁額

馬頭観音(左)、宝篋印塔(右)

薬師堂

境内社

薬師堂の隣の神社

名称不明の神社拝殿

馬頭観音