道しるべは、街道の三叉路や十字路の角に建てられ、他国から来た旅人が道に迷わないよう表示してあります。ここに残る道しるべは、坂戸宿四丁目の皆さんが、旅人の安全を願って建てたもので、この道筋が、江戸時代の承応元年(1652)に日光脇往還に定められ。往来する旅人が増えたためと考えられます。
 道しるべは、坂戸市内に現存する最古のもので、角柱四面に 「右よしミみち、左日光道、松山道、願主講中、坂戸町中四丁目、宝暦十庚辰六月吉日」 と刻まれています。
 「右よしミ道」 とあるのは、右の道をたどると坂東33観音のうち11番目の札所 「安楽寺吉見観音」 があり、札所めぐりの盛んであった当時としては、観音霊場めぐりに往来する人たちが多く、坂戸宿を出外れた三叉路で、右か左か思案する姿が見られたためと想像できます。
 また、「左日光道」 とあるのは、当時、八王子千人同心が日光東照宮の火の番(警備)にあたるため、八王子から日光への往来に使った道筋であったためで、今日まで多くの人々の往来を見守ってきました。
(坂戸市教育委員会)

願主講中 坂戸町中四丁目

左 よしミみち

宝暦十庚辰六月吉日

左 日光道 松山道

道標説明