近世における江戸より日光への道は、「日光街道」 と将軍社参の道である 「日光御成道」 がよく知られていますが、この街道以外にも、裏街道、脇街道と呼ばれる道は、各地に存在しています。
坂戸を通る道は、「日光脇往還」 と呼ばれ、日光東照宮の火の番(警護)をつとめた 「八王子千人同心」 が勤務地への往来に使った道になります。
明六つ(午前六時頃)に八王子を出発した千人同心の一行は、暮六つ(午後六時頃)に 「坂戸宿」 に到着し、最初の宿泊地としますが、日光までの21次を3泊4日で歩き通しました。当時の坂戸宿は、坂戸神社から坂戸小学校に向う通りで、道幅2間半(約4.5m)、民家180余軒が軒を連ねていたと言われ、今は宿場の面影も薄れてしまいましたが、北東へ進み坂戸小学校に突き当たった所には、往時のままの姿で、道しるべ(宝暦10年)が残っています。
日光への道はここで2つに分かれ、左が脇往還になりますが、住宅開発や道路網の整備が進み、かつての道筋は、大きく変化してしまいました。
(坂戸市教育委員会)
坂戸宿並み
坂戸宿並み
日光脇往還説明