針売庚申塔
(元禄6年(1693)の一面六臂の青面金剛の庚申塔)
善能寺は安養山蓮華院善能寺と称し、真言宗智山派の寺で、本尊は阿弥陀如来である。開山は不明であるが、慶長元年(1596)に法印栄慶が中興開山したと伝えられる。
現在の本堂は天保14年(1844)の建立であり、昭和47年に現在地に移築されたものである。左手にある薬師堂は、享保年間(1716-36)の建築で、慶安3年(1650)銘の鰐口がある。堂内に安置されている薬師瑠璃光如来に寅薬師として有名で、中武蔵72薬師の11番にあたり、御開帳時は非常な賑わいである。
なお、当寺の本堂は、明治5年に学制が制定されたとき、鶴ヶ島学校の最初の校舎として使用されたもので、当時の生徒は男19人、女3人であった。
(埼玉県)
脚折地内を南北に通ずる日光街道の南には才道木庚申塔が、北にはここ針売庚申塔が建立され、道祖神(さいどのかみ・邪霊の侵入を防ぐ神)としての役割を果たしてきました。
中国古代の道教に干支の庚申の夜に人が眠ると身体の中の 「三尸虫(さんしのむし)」 が、その人の日頃の罪を上帝に訴えて命を短くするとの説があります。この日は徹夜して過ごす庚申講が行われ病気平癒・商売繁盛・家内安全の願いを込め庚申日待を行った時代があります。
碑面 「奉造立為青面金剛像二世也 元禄六年(1693)癸酉天二月吉日 武蔵高麗郡脚折村 施主 覚宝院」
300余年前の建立で才道木庚申塔より67年古く、脚折地内最古の野仏であります。昭和63年(1988)4月に保存会が結成され維持管理を進め、毎年4月最終の日曜日に参集し、懇親を深めると共に益々の発展に努めております。
(針売庚申塔保存会)
本堂に掛かる安養山の扁額
善能寺山門
善能寺本堂
鶴ヶ島学校跡碑
針売庚申塔説明
庚申堂
天保11年(1841)の西国四国秩父坂東百八十八ヶ所供養塔
五重塔
殉国慰霊碑
十三重塔
宝篋印塔
慈悲堂
薬師堂脇の六地蔵尊
十王堂
釈迦堂
中武蔵72薬師11番脚折薬師の薬師堂
薬師堂に掛かる瑠璃殿の扁額
大日堂の扁額
弘法大師像
大日堂
善能寺由緒
鐘楼
山門脇の六地蔵尊
池がある美しい庭園