このフジは、推定樹齢800年と言われ、都内有数のフジの巨木です。昭和31年の指定当時には根元の周囲が2.9mあったと言われています。
 伝承によると、室町時代末頃、この地に建っていた明王院の境内に自生していたそうです。しかし、江戸時代初期にその明王院は廃寺となり、フジだけが残り今に至ったと伝えられています。俗に「千歳のフジ」とも呼ばれています。
 フジは、春には紫色の蝶形の花をつけ、美しい様相を呈します。古来より自然暦として農作業や漁期の目安とされ、ホトトギスが来て鳴く木でもありました。また、日本では古くから鑑賞用に栽培されるものはフジ棚として整枝されていました。この「拝島のフジ」も開花期には昭島市域をはじめ、近隣からの花見客で大変賑わいます。
(東京都教育委員会)

 寺伝によれば、天暦6年(952)多摩川花井の島より大日如来の尊像が出現し、村人が拝んだところから、拝島の地名が付いたという。その後、戦国期、滝山城築城に際し、城の鬼門除けとされ、天正年間(1573-92)には滝山城主北条氏照の重臣石川土佐守が娘の眼病平癒を祈願し、治癒したことから堂宇を再興し、一山八ヶ寺(大日八坊)を建立したと伝えられている。天正19年(1591)には徳川氏から朱印地十石を下賜された。現在の建物は、享保17年(1732)の再建である。また平成16年(2004)大日堂・仁王門・薬師堂の平成の大修理を行い江戸期の形状に整備された。
◎都指定文化財
 仁王門内 金剛力士像(鎌倉時代作)
 大日堂内 大日如来坐像(平安時代作)
        釈迦如来坐像(平安時代作)
        阿弥陀如来座像(江戸時代作)
◎都指定天然記念物
        拝島のフジ(樹齢800年)

 大日堂の創建は、寺伝などによると天暦6年(952)と伝えられている。その後、戦国期、滝山城の築城に際し城の鬼門除けとして現在地に移され、天正年間(1573-91)には滝山城主北条氏照の重臣石川土佐守が娘の眼病を祈願し平癒により堂宇を再建。この時に「大日八坊」といわれた一山八ヶ寺が建立されたという。
 天正19年(1591)には徳川氏より朱印地10石を下賜され、天保17年(1732)には大日堂の位置を石段上の現在地に移し建物を再興している。
 一方、日吉神社の創建は不明であるが、天正年間の大日堂再興の折りにその守護社として建立されたといわれ、寛保元年(1741)に「山王大権現」の称号を許されている。江戸時代は大日堂の管轄下にあったが、明治以降、神仏分離により独立し、社号も日吉神社と改めている。
 当該地は古刹として著名な大日堂と天台宗の守護社である日吉神社によって形成された境域で、歴史的建造物を中心に旧態をよく留め、典型的な天台宗一規一画の寺域を構成する都内でも数少ない場所の一つである。
 (東京都教育委員会)

拝島山大日堂由緒

大日堂境域及び日吉神社境域

拝島のフジ

鐘楼

六地蔵尊

地蔵堂の地蔵菩薩立像

薬師堂に掛かる薬師尊の扁額

薬師如来と十二神将を祀る薬師堂

明王院

本堂に掛かる大日堂の扁額

大日如来坐像

大日堂本堂

 この井戸は、別名 「お鉢の井戸」 と呼ばれ、室町時代末期、滝山城主北条氏照の家臣・石川土佐守が大日堂に娘・おねいの眼病祈願し、この井戸で眼を洗ったところ良くなったと伝えられている。

おねいの井戸

手水舎

手水石

鎌倉期作の金剛力像

大日堂仁王門

仁王門に掛かる密厳浄土寺の扁額

鎌倉期作の金剛力士像