寛延2年(1749)の地蔵菩薩供養塔

文化2年(1805)の地蔵菩薩供養塔

如来仏供養塔

宝永6年(1709)の地蔵菩薩供養塔

寛政6年(1794)の地蔵菩薩供養塔

十三重塔

小坊主像

石燈籠

子育安産延命地蔵尊

聖観世音菩薩立像と六地蔵尊

地蔵堂

 当寺は上総国葛飾郡山王山村(五霞村)東昌寺の末寺で、龍澤山宝国寺と云う。 開山は本寺2世の僧・能山聚芸大和尚で、師は永正9年(1512)11月26日71歳で没している。 江戸文久年間(1861-63)に火災に遭い、本堂・古記録等は残らず焼失する。当時の名残として、鹿室村上耕地に今も寺山という地名が残っている。現本堂は焼失後に現在地に建立、再建したものである。 ご本尊の阿弥陀如来仏は、創建当時のものを修復し、今も檀信徒信仰の拠りところとなっている。昭和29年本堂の破損甚だしく大改築を行う。昭和51年庫裏新築、さらに平成8年客殿を新築し現在に至る。
※ 徳川家実記によると、徳川10代将軍家治や12代将軍家慶等歴代将軍が日光社参の折、門外富士見所で、茶屋を設け休息したと記されている。

庫裏

宝国寺由緒

安永6年(1709)の地蔵菩薩供養塔

正徳3年(1713)の地蔵菩薩供養塔

宝国寺本堂

鐘楼

宝国寺山門

宝国寺参道口

宝国寺寺標脇に建つ不動堂

成田山と刻まれた不動明王像